此処はどこ?

ぼつぼつ呟くページ

ずっとおうち

在宅勤務を始めて5か月半経つ。何度か言及したかもしれないけど、仕事が伝言ゲームの上に成り立っている。いや、伝言ゲームになったから成り立っていない、か。

この最中に顧客獲得に向けて部署一丸でやってきたはずだが、相手方からは音沙汰なしらしい。これ以上続けるのか、これはもう失敗として別の顧客に向けて頑張るのか、それも連絡がない。上司も知らないという。中途半端な状況は皆不安になるので、やることはやってしまおう、また来年度に向けて今年の成果を纏めよう、そう言いだす人が居る。それは正しい。ただその原因は、期末までに纏まっていないと次の期の人件費が下りないという構造である。成果が出ていないところに払う金はない&&成果は四半期で評価、なので6月、9月、12月、3月はあわただしいのがわが部署だ。

9月中に暫定開発目標を終わらせるために、各員に作業を割り振るのだが、はっきり言ってしまえばうまくいかない。伝言ゲームのせいだと思うし、各員が伝言ゲームになっている事を意識していないのか、分かっていても身を守るため黙っているのか、わからないが、週末の会議では皆の報告は無茶苦茶であった。あまり報告内容が進んでいないので課長が聞き始めると、「それ私、何のことかわからないので、〇〇さんの言う通りにしただけです」「それをいうのであれば初めに基準を皆で合意すべきです」「何か始めるには、先頭に立つ人が居て、その人が引っ張るべきだと思います。今回は〇〇さんなので、〇〇さんがすべきです」云々。「とは言っても○○さんが忙しいので皆に作業を振っているんです」は課長の言。なお○○さんというのは自分の同僚だ。

聞いていてこの組織終わっているなあとつくづく思う。なお、上記三つの言い訳のうち3つ目は去年の新人君の発言である。今時はこんな奴も居るのだな、でも奴には幻滅だな、なんて思っていた。2つ目は50代の一般社員である。正論だが、日程が無い中でどうすればよいか、考えるのはリーダーの責務、うまくいかなければリーダーの責任、自分はやらずに組織運営の批判をしていれば良いのだろうか。

人はうまく行かないと、誰かのせいにし始める。誰かのせいになるように仕向ける。ああすべきだ、こうすべきだった、言ったはずだ、誰々が悪い、組織の風土が悪い。そうすると安心するのだろう。自分に非があるのを認めるのは、皆嫌だ。

そういえば新人君を育てたのは俺たちだ。そういう吹っ掛けをされて不快に思ったのは、自分(達)の至らなさを見せつけられたからかもしれない。

 

 

長いトンネル

禍が長期化していて、身の上にもちょっとずつ影響が出ている。

在宅勤務を長期間続けていると、やはり感覚がおかしくなってくる。会社に居れば聞けば直ぐ済むことでもTeamsで聞くと、半日待たされたりする。こちらも作業に没頭していて気が付かないこと、気が付いても今ちょっとややこしいから(面倒くさい?)から後回しにして、忘れてしまうこともある。返信が無いから、ボールは誰々さんが持っているから出来ません、という、以前なら社会人としてそれはないだろうみたいな言い訳をよく見るようになった。組織力(そんな大それた言葉もどうかとは思うが、皆が集まって人数以上の速さを出すことだと思っている)は確実に落ちたと思う。

これは一体何時まで続くのだろう、と半ば途方に暮れる感覚に襲われることも多くなった。もしかしてこのまま在宅で定年まで働くのだろうか。ただそれもあり得ないようにも思う。先に挙げたように集まって知恵を出して、早く業務を回すオペレーションに、何時かは戻るようにも思う(この、何というか、責任所在があやふやなままあまり効率的と言えない業務を行っている状況では、確実に他社に先回りされるのでは、という直感みたいなものがある)。

一方で、もう以前のように戻らない、と腹を括るのも一手だが、それなら今後どのように仕事を進めるのか真剣に議論が必要だ。Teams導入で完了!みたいな感じになっている(うちの部署はそんな感じ)のもどうかと思う。

在宅日記

日記というほど毎日書いてないけど・・・

4月から在宅勤務になって、世界(自分の)が狭くなってしまったように思っている。会う人は家族と、たまに買い物に出かけた先の通行人だけだ。会社の人にはもうずいぶん会っていない。課長を最後に見たのは3月下旬だったか。意思疎通の手段がTeamsに限定されてそれでなんとか仕事をしているが、明らかに効率は悪い。

相手の顔も、所作もわからない。文字だけが送られてくる。「予定表を作ってください」「〇〇のデータを集めて下さい」などなど。

恐らく、上長同士あるいはその上との合意があって、命令が下りてくるのだろうが、バックグラウンドを把握するのが難しい。「予定表を作ってください」となれば「ガントチャートでいいですか?・・・・(それなりに考えて)・・・できました」

作っているうちに気付くがタスクが3つ4つ重なっている。「ちょっと期日に間に合うかわからないです」と送ってみるが返信なし。

内輪の打ち合わせで「予定表を説明してください」と振られる。こちらは面食らうがまあ、説明する「これ難しいです」「ええ、難しいことを説明するために作ってもらったんです」

さらにプロジェクトの打ち合わせでも説明するが「皆うーん、そうだねえ」で終わる。とぎれとぎれの音声しか聞こえない。何かが決定されるわけでもない。恐らく何人かは別の仕事の資料を作っているし、お茶を飲んでいるかもしれない。本気で質疑する人は少ない。で、Teams会議は終わるが、出来っこない日程が承諾されていることに気が付くのはそれから2週間ほど経ってからである。そのあとの謎のサービス残業の嵐(あれやって、これやって、今週中です、明日までに、実は今日中なんです)で、疲れ果ててしまった。お客さんが居るから仕方ない、はわかるが、通勤時間がないのだからいくらでもできるだろう見たいに降ってくるのは、割りに合わない。

直接話す必要はない、リモートでも仕事はできる、というのは上長の考えではないか。仕事を振られる方は、クビも怖いので(実際切られている人は何万と居る)やりますというが、顔も姿もやってるところも見えないのでいくらでもブラックなことが横行する。

 

ようやく

少しづつ、外出するようになった。ワクチンも治療薬も誰が重症化するかの判定方法も無いのだが、もう外に出なければやってられない、みたいになっている。

最寄り駅のエキナカにあるショッピングモールが再開している。家族にせがまれて行ってみた。流石に人は少ない。少し見える駅の改札の向こうも、信じられないくらい人がまばらだ。近くに大学があるのだが、どう見ても新入生か、2回生くらいの学生は、街に繰り出している。ショッピングモールにある電気屋さんでは、エアコン展示の前で人だかりができていて、店員さんが一生懸命に説明している。そうか、今年の夏は家で過ごすのが分かっているから、新調する人が多いんだ。がんばれ店員さん、今が儲け時だよ。俺の儲け時はいつ来るのかわからんが。

床屋さんも待合いが満席だったので、残念だが行かないでおくことにした。みんな髪伸びてるしいい加減さっぱりしたいのは同じだ。

このまま、普通に戻れたらいいのにとの微かな願いが叶うと良いのにな。

 

 

おうち時間

緊急事態が解除されたが、会社はまだ原則在宅勤務。

それは仕方ないのだが、子供の学校も当分午前授業。昨年度末(3月)から、4月の始業式しか学校に行っていないので完全にフリーダム状態で、今回の件で子供って学校行かないと猿になるのが分かった。学校って嫌だと思っていても行かないといけない(自分は毎日嫌々通っていたのに、皆勤賞取ったりしたのだが)。本当にそう思う。学校って偉大だ。

3か月の休みはさすがに私も経験がないので場当たり的な対応をしてしまって苦い思いをしている。

まず宿題が当初無かったので、遊ぶばかりだった。これはどこの学校も同じなのだが、在宅勤務だったりすると集中できず、せがまれるとついテレビを見せてしまう。その間は静かなので大人は楽だが、すっかり習慣になってしまい抜け出せない。親が困っていたり、何かに集中しないといけない時期にテレビをせがむと許される動機付けができてしまい、そのパターンになっている。これはいけないと叱っても子供には理由がわからない。お父さんお母さんだってパソコンしてるじゃない。パソコン作業とテレビの区別はまだつかんよね。

在宅勤務中に騒ぐと親がかまってくれる動機付けができて、宿題やれと言っても聞かない。仕方なく宿題を見るはめになる。朝9時はどちらかというと宿題開始の時間になってしまった。一緒に2桁の足し算の筆算をしながら午前が終わる。思った半分も仕事ができない。しかし宿題見ないと(義務教育を受けさせるのは親の義務、と憲法に書いてあるよね?違ってた?)子供の将来を考えると、対応せざるを得ない。どちらと決めていないが、妻と私でどちらかが宿題見ることになる。それよりも私は小学2年になったとたん速攻で九九を憶えさせられ半泣きだった記憶があるのだが子供はまだ掛け算を知らない。覚えさせようとしたが全然ダメ。これには面食らう。子供に親の期待を背負わせないようにと頭では思うが、感情ではなんて情けない子供だろうと思っている。そう思う自分も情けない、親としてだめだと思う。

話や、要求に「ばーん」とか「どーん」の言葉が頻発して主語と述語がはっきりしない。本当に猿になってる。誰かに正確に物事を伝える訓練が3か月止まると、こうなるのかーと、もう関心するしかない。親だと今までの、文字通り生まれた時からの経緯がわかるので話を汲み取ってしまうのだが、それがいけなかった。急いで、何が言いたいのかはっきり喋るよう促しているが、やはり端折って話す癖がついている。

どうも自分の子供は奥手というか、あれ、言葉忘れたけど家ではふんぞり返っているが外では全くというほど他人と関わろうとしないやつ、に相当している。自分から友達と何かすることがない。それを見ていると本当に情けなくて、グーで殴ってやろうかとさえ思う。この休校の間に、子供はさんざん親に駄々をこねれば何とかなると考えるようになってると推察する。お父さん一緒に遊んでよーねーねーあそぼーよー あるいは 宿題しよーよー手伝ってよー と在宅勤務中に横で邪魔をする。子供同士で遊びなさいと言っても聞かない。子供同士では面白くないらしい。自分の思い通りに人が動かないと気が済まないらしい。私は実は過保護な親なのだろうか。しかし晩婚でもう50手前なので10歳未満の子供と根競べを毎日はできない。

他人を変えるのは不可能、だが自分を変えるのは可能、なんてロジックが語られることがあるが、自分の子供が、(恐らく一般に信じられていると、私が考えているように)それなりに大きく道を踏み外さないようになるには、自分はどう変わればよいのだろうか。

 

 

在宅勤務とTeamsと

ちょっと前に書いたが、仕上げられてなかった。

 

 

日本(の首都圏)でも緊急事態宣言が発令され外出がほぼできなくなってから1か月半経つ。職場では1月から偶然Teamsを使い始めていたので、それで情報共有ができるはずであった。しかし全員が在宅というのは多分初めての試行だと思う。良い悪いは兎も角家に居ないといけないのはなかなか厳しい。そこで感じたことをつらつらと記す。

1.人の本性が出てしまう:普段滅多に喋らない人が、あらゆるチャンネルに書き込みをする。何か書き込まれた30秒後には返信している。有用な場合もあるが、大体会話したいだけだったりするので無駄。

2.音声会議中にチャットで別の同僚と話す:議題に対する意見をチャットで話す。喋っている人や物事の批判をしれっとチャットに書いて自分は発言しない。チャットに気が付けばそいつに話を振ることもできるが、それができなければ結局決まったのか決まってないのか、何をどこまで対応すればいいのかわからない意見がチャットに残ったまま会議が終わる。チャットで名指しで批判され(本人は自分が見ていないと思っているのか)、それを発言されなかったのはさすがに堪えた。

3.何かを派遣社員の方にしてもらうとき、教育の時間がない:実際作業をやってみて出てくる課題がなかなかわからず、居室に居れば15分なり半日で軌道修正できることが、3日経ってもできないなどとなる。

4.ずっと特定のメンバーだけのチャットでの会話になり、チャネルに業務指示や報告が上がることがなくなる:嫌われてるのかもしれない・・・特にゴールデンウィークがあったのでもともとにコミュニケーションが減ったていたのだが、それに気が付かなかった。チャネルで業務の依頼をしても自分でやってよと突っ返される。

ヤハウェが民の言葉を奪い、バベルの塔は完成されず人々が散逸したとの言い伝えは本質だったのか。言葉を奪われた人間は散り散りになる。

いずれにせよ会社に行きたくなくなったし、Teamsの画面を見ると吐き気がする。

ウィルスなり自然災害など、生物の存続の危機があると、弱いところから順に滅んでいくというのが分かった。同じように、元々マネージメントやコミュニケーションなど、長けていたわけではない 職業上の能力が重要になる局面になると、自分の信頼も下がっていき、やがて肺炎が終息した暁には、組織から追い出されているのではないかと思う。

 

 

2週間前に書いていたのを読んでみて、今はさらに酷くなってる印象だ。この先どうなるんだろう。

時間がない

自分でも不思議なのだが、時間がない。何かしたいと思うのだが、いつの間にか一日が終わっている。毎週その繰り返しだ。

家に居る時は、まあ休んでいるのだから、物事が進む訳無い。それは分かっているのだが、何か成し遂げたり前から気になっていた事が解決するとか、なかなか無い。

年取ったからなんだろう。それを実感するのは寂しいし認めたく無い。自分が怠惰なだけなのだろうか。会社や組織の長は自分より年取っているが色々やっているように思う。或いは自分が知らないだけか。本当は同じようなものなのだろうか。